志喜屋日記 寺社仏閣

おぶつだんの志喜屋

【営業時間】10:00〜18:00
【定休日】木曜(祝日除く)、年末年始

志喜屋日記

寺社仏閣

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皆様、お早う御座います。

 何と珍しく?連日の日記更新で御座います。

 此方はリアルタイムで祈念公開してますので、早くお知らせした方が良いかと思いますので。

 と言っても、恐らく明日までの期間の分も御座いますので、あしからず・・・。

 西国霊場自体も今年から来年に掛けてイベントをしてますので、巡礼を検討されてる方は、今が行き時かと思います。

南円堂に付いて・・・

西国三十三所第九番札所として人々のお参りで賑わう。
弘仁4年(813)藤原冬嗣(ふゆつぐ)が父 内麻呂(うちまろ)追善の為に建てた。基壇築造の際には地神を鎮めるために、和同開珎や隆平永宝を撒きながら版築したことが発掘調査で明らかにされた。また鎮壇には弘法大師が係わったことが諸書に記される。
不空羂索観音菩薩像を本尊とし法相六祖像、四天王像が安置されている。興福寺は藤原氏の氏寺であったが、藤原氏の中でも摂関家北家の力が強くなり、その祖である内麻呂・冬嗣ゆかりの南円堂は興福寺の中でも特殊な位置を占めた。その不空羂索観音菩薩像が身にまとう鹿皮は、藤原氏の氏神春日社との関係で特に藤原氏の信仰を集めた。
創建以来四度目の建物で、寛保元年(1741)に立柱された。江戸時代の建物といっても、その手法はきわめて古様で、再建には北円堂を参考にしたのであろう。
毎年10月17日に特別開扉。

八角宝形造の「南円堂」

 右近の橘、左近の藤が植わる西国三十三所第九番札所「南円堂」は、813年(弘仁4年)藤原冬嗣(ふゆつぐ)が空海の助言で、不空院の「八角円堂」を雛型として、父内麻呂(うちまろ)の為に創建し、その後4回焼失して、今の堂は、1741年(寛保元年)の立柱で、堂内に、1189年(文治5年)運慶一派の仏師康慶(こうけい)らによる三つ目で八臂(はっぴ)、像高3.36mの本尊「木造不空羅索(ふくうけんさく)観音菩薩坐像」と「木造四天王立像」を安置し、いずれも国宝です。

 有名所なだけあって、資料は沢山御座います。

 東大寺は全国的に有名で参拝者も多いと思います。歩いても10分もかからないので、東大寺に参拝の折には、興福寺・南円堂にもお立ち寄り下さい。

 では、次回は白毫寺編です。

 善通寺編は暫くお待ち下さい。

皆様、こんにちは。

 お久し振りです・・・。

最近、少しサボってました。

今回、善通寺と言ってましたが、先日の公休日に奈良に行って参りました。

 興福寺と白毫寺に参拝いたしました。

その時の写真を先に載せます。

紅葉系なんで、季節に合ってるでしょ?

先ずは、興福寺から・・・・

 先ずは、興福寺自体の説明です。


 法相宗の大本山として知られる興福寺。その前身は飛鳥の「厩坂寺」であり、さらにさかのぼると天智朝の山背国「山階寺」が起源となります。

その山階寺は、天智8年(669)に藤原鎌足が重い病気を患った際に、夫人である鏡大王が夫の回復を祈願して、釈迦三尊、四天王などの諸仏を安置するために造営したものと伝えられており、この名称は後世においても興福寺の別称として使われています。

その後、壬申の乱(672)ののち、飛鳥に都が戻った際に、山階寺も移建され、その地名を取って厩坂寺とされました。さらに、平城遷都の際、和銅3年(710)藤原不比等の計画によって移されるとともに、「興福寺」と名付けられたのです。

天皇や皇后、また藤原氏の人々の手によって次々に堂塔が建てられ整備が進められ、奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられ、特に摂関家藤原北家との関係が深かったために手厚く保護され、寺勢はますますさかんになります。

平安時代には春日社の実権を手中におさめ、大和国を領するほどになり、また、鎌倉・室町時代には幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たりました。

文禄4年(1595)の検地で春日社興福寺合体の知行として2万1千余石と定められ、徳川政権下においてもその面目は保たれました。

その後、明治時代はじめの神仏分離令、廃仏毀釈、社寺上地令などで興福寺は荒れましたが、その後は寺僧有縁の人々の努力で復興が進展し新たな興福寺としてその歴史を刻み続けています。


 次回は南円堂の日記と説明です。

今回、興福寺は本堂等々の特別開帳をしており、私も五重塔内に入らせて頂いて、土台を見せて頂きました。

土日だったので、参拝客で賑わっておりました。

皆様、こんばんわ。

先週末はお陰様で凄く忙しかったです。

ありがたい事ですが、予想以上の来客に接客が追い付かず、苦労しました。

折角、来て頂いてるので、来店頂いたお客様全員に同じ様に接客したいですからね。


 さて、言い訳はこの辺にして・・・

 榮福寺遍の最終回です。

以前にも書きましたが、参拝したのは夏の終わり辺りです。

暑い最中でした。

お寺の若奥さんに本堂や参拝客を写真に撮ってると、「あの来も写してよ」と言われたのが一枚目の写真です。

木の種類は判りません・・・。

若奥さんは同級生(住職)のお母様です。

以前の参拝時にも庫裏にて色々なお話を聞かせて頂きました。

今回も奥さん(お祖母さん)と若奥さんと一緒に写真を撮って参りました。

が、個人情報の為、流石に載せる事は出来ません・・・。

大学時代からの付き合いだが、お参りさせて頂いたのは、今回で二回目です。

行って思ったのが、意外と近いなぁと言う事です。

明石海峡を渡り、鳴門に付いてしまえば、後は香川方面からブラブラと行ってもトータルで四時間位かなぁ〜?

 又、参拝したいと思います。

 最終回は『榮福寺の風景』でした。

住職も境内をブラブラ、付近をブラブラと散歩をされている様子。

その上、何だかんだと忙しい。
まぁ大学時代から多趣味でしたから。


 さて、次回は善通寺編です。

次回の日記UP予定は金曜日以降です。
スイマセンねぇ。

明日の水曜日は高野山に行く日なんです。
(って別に絶対では無いですが・・・)

本山と大師教会本部に用事がありまして、ついでに業者さんの所に行き、商品を仕入れようかと思ってます。
ので、休みです。

 やったぁ〜。今週は待ちに待った二連休だぁ〜!!

お早う御座います。

本日の大阪は残念ながら雨です。

流石に11月ですね。雨のせいもあるでしょうが、一気に寒くなりました。

そろそろ店舗にも暖房いれ、数箇所に加湿器を準備しなくては。

寒いので暖房を入れると店が乾燥します。乾燥すると木製品(仏壇や仏像等)は割れてきます。

それを抑える為に加湿器は必要なんです。

良く勘違いされるお客様がいらっしゃいますが、基本的にお仏壇は店舗に飾っている分が見本であり、商品です。(割れ・色落ち等で完全に見本として使ってる分もありますが・・・)

と、日記を書きながら思い出したので、一時中断して、加湿器をセットしました。


・・・さて、榮福寺遍の続きです。

四国札所には必ずと言って良い程、本堂とは別に大師堂が御座います。

巡拝としては本堂⇒大師堂とある程度の順路が決まっております。

門前で一礼⇒入って手と口を清める⇒本堂に向かいお線香とロウソクを燈す⇒・・・・・・の様に。

大師堂も順路の一つです。

他の寺院さんでは弘法大師が本尊の寺院も御座います。
余談:弘法大師が本尊の場合は向かって右に愛染明王、左に不動明王をお奉りするのが基本です。

ここ榮福寺の本尊は阿弥陀如来なので別ですが。

勿論、大師堂にも参拝させて頂きました。

少し暗いですが、何とかお大師さんのお御影が確認できます。

今は秋から冬にかけての季節ですが、この写真の参拝は夏です。

お遍路さんは春と秋に多くなるようです。

これは、季節柄も含みますが、旅行会社のツアーが春と秋に多い様ですね。

まぁ真夏の暑い時期と真冬の寒い時期にはキツイですもんね。

意外と雪も降りますし・・・。

私の場合は車での参拝なんで、クーラーをガンガンに効かせてなんで、結構快適ですが。


 さて、次回で榮福寺編も終わりになります。
 その後は善通寺編です。

その後は・・・ストックが・・無い・・。

しかし、今月に根来寺・高野山・長谷寺・須磨寺・中山寺・清荒神に再度参拝に行く予定です。
以前に満願した真言宗十八本山巡拝の二回目です。

今回は掛軸を持って参拝してます。満願すれば表装しようと思います。

完成したら日記に載せるので、又見てください。

では、次回まで。

皆様、お早う御座います。

先月のアクセスはお陰様で4000越えでした。

平均一日130人以上の方に見て頂いている計算になります。
本当にアリガタイ事です。

先月の一日平均が130・・・・
現在、11/2のAM11:25ですが、120アクセスなんですけど・・・・。

マズイ。これは非常にマズイ。

と言う事で、日記を書きます。

連休で皆様は出掛けてるんでしょうね?

元通りの生活に戻れば、又戻って来てくれますよね?

お願いしますよ〜


さて、寺院日記、榮福寺遍続けます。

栄福寺(えいふくじ)は、愛媛県今治市玉川町にある高野山真言宗の寺院。四国八十八箇所霊場の第五十七番札所。

●本尊:阿弥陀如来

●ご本尊真言:おん あみりた ていせい からうん

●ご詠歌:この世には 弓矢を守る 八幡なり 来世は人を 救う弥陀仏


嵯峨天皇の勅願によって弘法大師(空海)が弘仁年間(810〜824)に開基したと言われている。後に行教上人が山頂に神仏混合の岩清水八幡宮を創建したが、明治初年に神仏分離令によって現在地に移された。

岩清水八幡宮
本寺前の道を奥へ進み石段を150mほど登った山頂に鎮座する。

本堂は綺麗に荘厳され阿弥陀如来が鎮座されております。
と言っても、厨子が閉められ秘仏とされてますので見えませんが。

確か、カメラマンの方に依頼して秘仏・阿弥陀如来の写真を撮られたと聞いております。それが、絵葉書にでもなればお目見え出来るかも知れませんね。

天蓋が少し斜めを向いているのが気になりますが・・・・。

さて、今回はここまでです。

次回は榮福寺大師堂編です。

皆さん、お早う御座います。

今月も今日で終わりですね。

そして明日からは11月。

今年も後二ヶ月になりましたね。

早いですね〜月日の過ぎるのは。

ここ二〜三日で急に寒くなりましたし、これからは本格的に冬に向かって行くんでしょうね。


 さて、前回までは【安芸の宮島】編でしたが、今回は四国・愛媛県です。

夕方に宮島を後にし、広島市内で一泊するか、尾道まで突き抜けるか考えたが、尾道ラーメンが食べたいと言う事で、少し無理をし、豪雨の中、高速道路を激走し、尾道へ。

そして、翌日は『しまなみ街道』を抜けて愛媛県今治へ到着。

 今回、参拝させて頂きましたのは、四国霊場の五十七番札所・榮福寺です。

此方は関西でも馴染みのある?京都府八幡市の岩清水八幡宮にも縁のある寺院です。

詳しくは次回にでも書きます。

凄く簡単に説明すると、京都の八幡宮と榮福寺裏の山の形がそっくりで、その山号が付き、山頂には同じく八幡大菩薩がお奉りされているそうです。

榮福寺は高野山真言宗の寺院です。

確か、本尊は阿弥陀如来です。

弘法大師・八幡大菩薩・阿弥陀如来等々をお奉りされる寺院です。

さて、入り口を抜け、参道に入ったばかり。

これから、榮福寺の参拝が始まります。


次回、榮福寺編もお楽しみに。


追伸:
 今月も凄い勢いでアクセスが伸びております。常々、読んで頂いております皆様のお陰で御座います。
この状況に胡座をかく事無く、もっと楽しい日記を書ける様に頑張りますので、今後ともお付き合い頂きます様、何卒宜しくお願い申し上げます。

皆様、お早う御座います。

さて、長く続いた宮島編も今回で最後になります。

そろそろストックしていた寺院参拝分が無くなって参りました。

次は、何処に行こうか・・・・。

ご紹介させて頂く寺院を探さねば。

近畿圏内(大阪・奈良・京都・兵庫・和歌山)辺りで検討してます。

皆様、何かリクエスト御座いますか?

御座いましたら、お気軽に仰って下さい。

行ける場所であれば行きますよ〜

寺院・神社・霊場等など・・・・・


さて、これは砂曼荼羅と言います。

これも、数年前の弥勒菩薩開眼法要時に製作されたものです。

行程や大聖院さんの紹介はHPが御座いますので、ご確認下さい。
大聖院公式HP↓ ↓ ↓
http://www.galilei.ne.jp/daisyoin/

本堂内には、ダライラマ殿が来られた時に座られて法要された、まさにその場所に礼盤と写真が残されております。

当時は私も居ておりましたので、凄く懐かしく、そうそう私も此処に居たなぁと記憶が鮮明に思い出されました。

時期的には冬に近い秋で、凄く軽装で参加し、猛烈な寒さに耐え切れず、二日間の行程だったので、一日目の晩に広島駅周辺まで出向き、防寒具を購入し、重装備にて二日目を迎えた事も思い出しました。

まぁ良い思い出です。

写真は敷地内で一番奥の不動堂・護摩堂です。中尊を中心にくるりと周りを一周できます。

何時までも耐える事の無い、お線香の香漂う心地の良い場所です。


 参拝始めは階段を登る事に必死で見落としておりましたが、階段の中腹にもお堂が御座います。

ここの階段はある程度の間隔毎にお経が彫られており、それを廻す触る事により、実際にお経を唱えたのと同じ功徳を得ると言われております。

年配の方がお百度参りの様に何度も上り下りを繰り返してました。

信仰心もですが、体力的にも驚きました。
今は、ご年配の方の方が元気なんでしょうかねぇ・・・。


さて、皆様にお楽しみ頂いておりました『安芸の宮島』遍は、これにて終了です。

次回からは、『四国八十八ヶ所霊場第五十七番札所 府頭山榮福寺』編を開始致します。

本当にストックが・・・。

後は、榮福寺さんと善通寺さんが終われば・・・・書ける寺院日記が・・・無い・・・・。

非常に不味い・・・・。

さて、どうしたものか・・・。


では、次回もお楽しみに〜

皆様、こんにちは。

関西?大阪は生憎の雨です。

その雨のせいなのか、今日は寒いです。

急激に寒くなりました。

そろそろ本格的に冬に向かってるのでしょうかねぇ?


 本日は宮島内の寺院、大聖院さんの紹介に入ります。

此方の紹介を二回に別けて書き、安芸の宮島編は終了致します。

以前の日記に書いてありますが、私もダライラマ金剛界伝法灌頂会の時に入堂させて頂きました。

それ以来の参拝です。


宮島にある寺院の中で最も歴史が古いのが、真言宗御室派(総本山仁和寺)の大本山大聖院です。
空海が宮島に渡り、弥山の上で修行をして開基したのが806年といいますから、歴史の重みを感じない訳にはいきません。
皇室との関係も深く、古くは鳥羽天皇勅命の祈願道場として、近くは明治天皇行幸の際の宿泊先になるなど、格式の高いお寺といえます。

大聖院は宮島桟橋から歩いて20分、対岸の町並みが望める場所にあり、秀吉も当山の庭園で何度か歌会を開いているように、ここの閑静な環境と眺めの良さも特徴のひとつです。
大聖院に祭られている仏様は、十一面観世音菩薩をはじめとする数々の観音菩薩、不動明王、三鬼大権現、七福神、一願大師などが有り、すべてをお参りしてゆくとけっこう時間がかかり、見ごたえがあります。
境内に時折響く鐘の音、たなびく香の煙と匂い、そして至る所で眼に入るイロハモミヂの鮮やかな色とが、いっそう訪れる者の心を洗い、静寂さと長閑さを引き立ててくれます。

皆様、こんにちは。

今回は宮島編の寺院紹介に入ります。

先ずは、ここ【大願寺】

高野山真言宗の寺院で、大きな不動明王(宮島大仏)が有名です。

厳島神社の参拝を終え、出口を右に進むと直ぐに大門が現れます。

お線香の良い香が漂って来ました。

現在のこる遺構は元禄時代の山門と本堂のみ。江戸時代にはこの山門の周りも塀でめぐらされ多くの伽藍があったらしい。

厳島神社の西回廊を出るとこの真言宗の古刹大願寺につく。ここは日本三大弁財天のひとつでもある。神仏を同時に祀っていた明治以前は厳島神社の主神市杵島姫命と仏教の弁財天が同一視されていた。室町時代は厳島神社の修理造営権を握っていた。建築に必要な鍛冶や番匠(大工)檜皮師などの職人団を率い福岡の箱崎八幡宮や大分の宇佐八幡宮の修理造営もしていた。当時の厳島は瀬戸内海の重要港で京都や境などの貿易商人らとの接触もふかかった。幕末には長州の乱終結の会談を勝海舟と桂小五郎がこの大願時でした。

伊藤博文によって植えられた根元から9本に広がった松が御座います。

大願寺 平山真明住職は、2006年4月2日明治初頭の神仏分離令で損失した「護摩堂」を約百四十年ぶりに再建。その中にインド産約20tの白檀(びゃくだん)を使用した高さ4m重さ6tの不動明王が鎮座されている。作者は松本明慶。別名:宮島大仏。

こちらの不動明王は両眼を見開き二本の牙が下向き。それは平安中期以前の古いスタイルを踏襲している。また髪は巻髪なので平安時代後期以降に多くみられる様式でそれらがあわさって独自のものになっている。煩悩を焼き尽くす火焔光背は多く燃え上がっている。左手には煩悩の迷いを縛る羂索(けんさく)と言われる青黄赤白黒の線をひねった綱を持ち右手には迷いや邪悪な心を知恵の力で断ち切りる宝剣が縦に真っ直ぐ握られています。こちらの寺の名に合うような大願を成就させてくれることでしょう。

更に大きく綺麗な写真で、此方の不動明王を見たい方は
http://menamomi.net/miyazima/fudou.html
此方のサイトで確認出来ますよ。


 次回の宮島遍は宮島の奥に佇む寺院:真言宗御室派総本山:大聖院を日記にしたいと思います。

 では、次回もご期待下さい。

さぁ、今日は何と二本立てです。

何故なら、本日の予定が事の他スムーズに進み、少し時間が開いたので・・・。

しかも、Bと今回のCは同じ場所なんですよね。写真の都合上、二回に別けましたが。

だから、数日後に似た様な日記書いても、飽きるでしょ?

って事で、都合良く連続日記に至りました。

写真自体は沢山撮ってますが、ブログの都合上、三枚が限界なんですよ。

別サイトの様に、写真ギャラリー的なアルバムを保管出来る場所があれば、沢山紹介出来るんですが・・・・。

日記に載せる都合上、画質と容量を落としてます。

元のまま乗せると凄く重くなるので。

やはり、一つの寺社仏閣を紹介させて頂くのには莫大な量の写真で案内する方が良いんですがね。

読まれてる方に、参拝した気分になって頂きたいので。

判りますか?以前の写真では海に浸かってた鳥居が、引き潮により全貌を現してます。

真下に人だかりが出来てます。

凄いですよね。

って、実はこの後、私もテンションが上がり、年甲斐も無く走って鳥居に行きました。

ちょっとしたマメ知識。
まぁ皆さんご存知の方が多いと思いますが、ここ宮島の鳥居は地面に固定されておりません。鳥居自身の重さで固定して立っているのです。
それって、凄いですよね〜?
だって、今までの数々の台風や荒波等の災害をものともせずに現在まで不動の仁王立ち。
凄い。

私も、宮島の鳥居の様な人間になりたいなぁ〜と自分で日記を書き今思いました。今ね。

 では、今回は此処までです。

次回からは神社を離れ、隣の寺院への参拝に移ります。

次回、宮島編もお楽しみ下さい。

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