皆さん、こんにちは。

日記を書こうと思うと別の用事が増えます。
結構、初めは『皆さん、お早う御座います』って書いている事が多いんですよ。

そのまま、接客や別の用事、電話、配達等を済ませると、知らない間にお昼になり、夕方になり、晩になり・・・・。

何度かは消した事もあります。

 今回は予想より早く書けた気がします。

では、安楽寺編の続きです。

安楽寺(あんらくじ)は長野県上田市別所温泉にある曹洞宗の寺院。山号を崇福山と称する。院号は護国院。開山は樵谷惟仙(しょうこくいせん)。本尊は釈迦如来。国宝の八角三重塔があることで知られる。

伝承では天平年間(729 - 749年)、行基の建立とも言い、平安時代の天長年間(824 - 834年)の創立とも言うが、鎌倉時代以前の歴史は判然としない。

安楽寺の存在が歴史的に裏付けられるのは、鎌倉時代、実質的な開山である樵谷惟仙(しょうこくいせん)が住してからである。樵谷惟仙は、信濃出身の臨済宗の僧で、生没年ははっきりしないが、13世紀半ばに宋に留学し、著名な禅僧の蘭渓道隆(鎌倉建長寺開山)が来日するのと同じ船で寛元4年(1246年)、日本へ帰国したという。2世住職の恵仁は宋の人で、やはり樵谷惟仙が日本へ帰国するのと同じ船で来日した。

鎌倉時代の安楽寺は北条氏の庇護を得て栄えたが、室町時代以降衰退し、古い建物は八角三重塔を残すのみである。室町時代、天正8年(1580年)頃、高山順京(こうざんじゅんきょう)によって再興され、以後曹洞宗寺院となっている。

八角三重塔 [編集]

八角三重塔境内奥の山腹に建つ。昭和27年3月29日に松本城とともに、長野県内の建造物として最初の国宝指定を受ける。

日本に現存する近世以前の八角塔としては唯一のものである。(八角塔は京都法勝寺、奈良西大寺などに存在したが、戦乱などで失われた。)

全高(頂上から礎石上端まで)18.75メートル。構造形式は八角三重塔婆、初重裳階(もこし)付、こけら葺である。(四重塔にも見えるが一番下の屋根はひさしに相当する裳階(もこし)である。)この塔は日本に現存する唯一の八角塔であるとともに、全体が禅宗様で造られた仏塔としても稀有の存在である。組物(軒の出を支える構造材)を柱の上だけでなく柱間にも密に配する点(詰組)、軒裏の垂木を平行線状でなく放射状に配する点(扇垂木)、柱の根元に礎盤を置く点、頭貫(かしらぬき、柱頭を貫通してつなぐ水平材)の端に木鼻(彫り物)を施す点など、細部に至るまで禅宗様で造られている。内部の天井の形式や八角の仏壇も他に類を見ないものである。内部には禅宗寺院には珍しく大日如来像が安置されている。

この塔の建立年代は、従来、漠然と鎌倉時代末〜室町時代始め頃と考えられていたが、2004年奈良文化財研究所埋蔵文化財センター古環境研究室による年輪年代調査の結果、この三重塔の部材には1289年(正應2年)に伐採した木材が初重内部の蝦虹梁に使われていることが判明した。このことから当塔は13世紀末、1290年代に建築されたものと考えられ、1320年建築の功山寺仏殿を凌ぐ日本最古の禅宗様建築である可能性が高くなった。

 次回に続きます・・・