皆さん、こんにちは。

昨日、今日と連続で日記を書きました!

って、日記って本当はそれが当たり前なんですけど・・・。

 今日も本当は忙しくて・・・・。

昼ご飯を食べてません。

既に夕方なんで今更食べれません。

夕飯が食べれなくなるので。
しかも、感覚が可笑しくなってるのか、特にお腹が空いてる訳でもないので。

 お昼から今までが一瞬で過ぎ去った気分です。


 さて、慈尊院遍、続きです。

【国宝】
木造弥勒仏坐像
如来形の弥勒仏の像で、像高は91cm。右手を挙げ(施無畏印)、左手を膝上に置く(与願印)如来像通有の印を結ぶ。下ぶくれの頭部、重々しい面相、量感のある体躯表現、大ぶりに刻まれた翻波式衣文(ほんぱしきえもん、大波と小波を交互に刻む様式)などに平安時代初期彫刻の特色が現れている。組んだ両脚の前の裳先部分に寛平4年(892年)の墨書がある。この裳先部分は後補であるが、墨書はオリジナルの銘文を忠実に写したものと認められ、寛平4年の作であると認められている。在銘作品の少ない平安前期彫刻の基準作として重要である。長年秘仏として伝えられてきたため、光背、台座も当初のものが残されている。厳重な秘仏であったため、学術調査が実施されたのは第二次世界大戦後のことであり、昭和37年(1962年)に重要文化財、翌昭和38年(1963年)に国宝に指定された。開扉は21年に一度とされている(空海の命日が21日であることにちなむ)。

【重要文化財】
弥勒堂(附:石造露盤宝珠1組、棟札17枚) - 鎌倉時代後期の建築。宝形造、檜皮葺き。
絹本著色弥勒菩薩像

【高野山の案内犬ゴン】
弘法大師像と案内犬ゴンの碑昭和60年代(1985年 - 1988年)に、九度山駅と慈尊院を結ぶ途中にある丹生橋の近くに住みついていた紀州犬と柴犬の雑種である白い雄の野良犬が、やがて慈尊院や高野山の参詣者・ハイキング客を案内するようになった。

慈尊院から聞こえる鐘の音を好んでいたため、いつしかこの野良犬は「ゴン」と呼ばれるようになった。

最初の頃は九度山駅と慈尊院の間を案内するだけだったが、平成元年(1989年)頃から慈尊院をネグラとして、高野山町石道の20km強の道のりを朝、慈尊院を発って、夕方に高野山上の大門まで道案内し、夜には慈尊院に戻る毎日を送っていた。

しかし長く険しい山道を連日のように歩き続けたため、体力的・年齢的にも相当の負担がかかったようで、平成4年(1992年)をもってガイド犬を引退し、その後老衰のため、平成14年(2002年)6月5日午後3時50分に息を引き取った。

約1200年前の弘法大師の時代にも高野山の案内犬がいたという伝説があり(金剛峯寺#開創伝承も参照)、このゴンは「弘法大師の案内犬の再来・生まれ変わり」などと呼ばれ親しまれていたこともあって、同年7月23日に慈尊院住職の計らいで境内の弘法大師像の横に、ゴンの石像が載せられた「高野山案内犬ゴンの碑」が建てられた。

現在、慈尊院には、晩年のゴンと共に暮らした雄犬「カイ」が居るものの、ガイドは行っていない。