○繖山 観音正寺

○天台宗(又は単立)

○本尊:千手観音菩薩

琵琶湖の東岸、標高433メートルの繖山(きぬがさやま)の山頂近くに位置する。伝承によれば、推古天皇13年(605年)、聖徳太子がこの地を訪れ、自刻の千手観音を祀ったのに始まるという。聖徳太子はこの地を訪れた際に出会った「人魚」の願いにより一寺を建立したという。その人魚は、前世が漁師であり、殺生を業としていたために人魚に生まれ変わり苦しんでいたという。寺にはその人魚のミイラと称するものが伝えられていたが、1993年の火災で焼失してしまった。

「聖徳太子が人魚の願いにより建立」云々という話が後世の仮託であることは言うまでもない。ただし、滋賀県の湖東地方には他にも長命寺(近江八幡市)、石塔寺(東近江市)、百済寺(東近江市)などの聖徳太子開基伝承をもつ寺院が点在し、その多くが渡来人ゆかりの寺院であることは注目される。


観音正寺が位置する繖山には、室町時代以来近江国南半部を支配した佐々木六角氏の居城である観音寺城があり、寺は佐々木六角氏の庇護を得て栄えた。観音寺城は永禄11年(1568年)、織田信長の軍勢に攻められて落城。数年後には佐々木六角氏所縁の観音正寺も焼き討ちに遭い、全焼した。再興されたのは慶長年間(16世紀末〜17世紀初)のことである。

観音正寺の本堂は1993年に失火で焼失した。交通不便な山中にある寺院のため、消火活動もままならず、重要文化財に指定されていた本尊千手観音立像も焼失してしまった。現在ある木造入母屋造の本堂は2004年に再建されたものである。新たに造立された本尊千手観音坐像は仏師松本明慶の作。旧本尊が1メートル足らずの立像であったのに対し、像高3.56メートル、光背を含めた総高6.3メートルの巨大な坐像である。像はインドから輸入した23トンもの白檀を素材に作られている。白檀は輸出禁制品であったが、観音正寺の住職が、20数回インドを訪れ、たび重なる交渉の後、特例措置として日本への輸出が認められたものであるという。